英語教師の口癖とフィッシュストーリー
今日もまた、相も変わらず卒論について、模索しておりました。ええ、模索しておりましたとも。
今日は買わないぞと決めた伊坂幸太郎の小説もつい買ってしまいました。「フィッシュストーリー」ってやつです。
「フィッシュストーリー」は映画にもなっている、短編をまとめたものらしいんですけど、まだ、一話しか読めてません。
つか、読む暇なんてないよ。卒論なんなんだよ。
「フ〇ック、卒論」とか言いつつ、一話読んでんじゃないよ俺!!
大学二年生がよく言う、「あー寝てないわ、俺」を恥ずかしげもなく、言えてしまうくらい寝てません。(いわゆる大二病というものに対する勝手なイメージです)
何日間か寝なくても死なないよって、高校の時の英語教師が言っていましたが、彼の口癖を真似して批判したいと思います。
「なんだって、な~んだって、あ~んだって、なんだって!!」
脳科学者と好きだった人と砂漠の西嶋
こんな時間まで、卒論について、あーだ、こーだ、悩んでろくな結論も出せず、遅々として作業も進まずにいます。
いくら悩んでも答えなんて出ないのに、踏み止まるのは自分の悪い性質のような気もします。その性質に加え、やるべきことから目を背けるという性悪な性質も組み合わさったらもうね、何も進まんですよ。
よく思うのですが、偏見の眼鏡をかけて言うことではないのですが、決断できるとか、作業が速い人の思考とか頭の中って、多分自分とは大きく違った構造、構成をしていると常日頃感じます。
脳科学者にさっさとできる人できない人の違いを解明してもらい、差がないようにしてくれと切に願うしかない。とは、多分口が裂けても言えないですよね。
自分なりにコツを掴んで、自分なりの決断方法を見つけて、進むしかないと。
でもやっぱり早く解明してくれ、脳科学者の方々
あと、昔好きだった人や付き合っていた人の情報が入って来た時の、なんとも言えない気持ちも、何とかならないのですかね。心から喜んでとか、よかったねとか、ねぎらう気持ちが出てこない感じが、残念で仕方がない。
「Never let me go」って俺も言われてーと、情報を噛みしめながら思いました。ええ、思いましたとも。
何が言いたいかっていうと、
脳で考えるのに脳を解明できるのかって、希望も夢もないようなこと言うなって感じですよ。
早く解明しておくれ、脳科学者よ
関係ないことですが、伊坂幸太郎の小説って面白いですね。今日は、「砂漠」を
読んだんですが、西嶋に惚れました。
「その気になればね、砂漠に雪を降らすことだって、余裕でできるんですよ」
by西嶋
こんな気概を持って、なんでも取り組みたいもんですね。カッコイイよ西嶋。
死ぬ前にしたいこと
TEDという講演会の動画をみていたら興味深い内容のものがありました。キャンディ・チャンという女性の活動の話です。
簡単にTEDのサイトから内容を拝借して紹介すると
「TEDフェローでアーティストのキャンディ・チャンは、ニューオーリンズの自宅の近所にある見捨てられた家を大きな伝言板に改造し、穴埋め式の質問で人々に問いかけました。「死ぬ前に私は___したい」。すると驚くような答や、感動的な答、あるいは滑稽な答が近所の人たちから寄せられて、そこはコミュニティを映す意外な鏡となったのです。(あなたなら何と答えますか?)」
というような内容でした。
この問いの回答には「海賊として裁かれたい」というような突飛もない回答や、「本当の自分になりたい」というような先ほどの回答とは打って変わって真剣な回答まで、様々な答えが紹介されています。
自分も「死ぬまえに私は_したい」ということについて考えてみました。でも、なかなか欲望が多いうえに、死というものを身近に感じたことがないので簡単には思いつきません。
しかし、純粋に、本当に純粋に直感で答えるとするならば、「死ぬ前に私は笑っていたい」です。
やっぱ最後は笑って死にたいですよね。どごぞのマンガのキャラクターみたいに「我が人生に一片の悔いなし」と勇ましく死ぬことは到底できないと思いますし、後悔の山積みですけど、終わりよければすべて良しで笑って死にたいなと。
どこぞの小説の解説で、死というものがあるから生を考えられると書いてありましたが、本当だと実感しました。死について考えると、自分のやりたい欲望が垣間見え、こういうものがもしかしたら生きるということなのかなと。
以下に、自分が「死ぬ前に」を考え、垣間見た欲望を列挙します。
・ハワイに住みたい
・モテキが来てほしい
・見たことのない景色をみてみたい
・バティストゥータに会いたい
・アルゼンチンにいってみたい
・バルセロナの試合をみてみたい
・巨乳の人と一夜を伴にしたい
・巨乳の人と結婚したい
・巨乳の外人と友達になりたい
・好きな人のパンツをみたい
・病床に臥しているだろうから、看護婦とちょめちょめしたい…etc
もうね欲望丸出しですよ。最後の方なんか目も当てられないほどの内容ですね。
まぁ、欲望なくして人生なんかないのかもしれないということが分かったのが、今回の収穫ですかね。
*キャンディ・チャンさんの動画はhttp://www.ted.com/talks/lang/ja/candy_chang_before_i_die_i_want_to.html
から観れます。内容は本当に考えさせられるもので、自分の書いたこととはすこし離れていると思います。あと、よく思うのですが海外の方って、よくこのようなアイディアを思いつくなと。
自分も感性豊かに、考えられる人間になりたい。特に妄想力にかけては!!
160cmで、60kgだった君に送る言葉
前回のブログに160cm、60kgのベッカムヘアーのデブな小学生だったと書きましたが、紛れもない事実です。ええ、事実です。
しかし、何も最初からこんなに太っていたわけではありません。ある出来事をきっかけに自分は小学生時代に劇太りしてしまいました。
今回は、そんな太っていた時代について自分語りをさせていただきます。
自分が劇太りする話の前に、どのような小学生だったかを振り返っていきましょう。
前々回のブログにもあるように、幼稚園時代から変態の素養があり、かつモテ期が来ていた自分は、ただのエロガキでした。
小学校の低学年の時には、プールの着替えの時間に自分の裸を女子に見せつけるという行為を毎回のようにやっていました。女子が「キャー変態」というのを毎回楽しみにしていたということを今でも覚えています。
また、公園などに落ちている神様からの贈り物「エロ本」も小学校の低学年の時から愛読していました。
このような変態的な行為をしていたにも関わらず、自分はクラスの女子に嫌われることもなく普通に生活できたのは、女子の皆様が大変心の広い方たちだったことや幼稚園のモテ期を少量ながらこの時まで有していたからだと思っています。
この時は、少量ながら有していたモテ期が自分が劇太りするきっかけになるとは露程も知りませんでした。
少量のモテ期を有していた自分は、同じ学年の女子は勿論のこと、高学年の女子などからよく遊びに誘われ、鬼ごっこやスカート捲りなどをしていました。
女子からこんなにも誘われるので、自分はモテるんだという勘違いが発動しました。この勘違いは恐ろしいもので、女子の前で格好つけたり、自分のカッコイイところを言わせたりと様々な愚行を繰り返すこととなります。
女子の髪をいじりながら「髪きれいだね」と囁いたりなど、今思い返すと死にたくなるくらい恥ずかしいことを言っていました。
「好きな人は誰なの?」と恥ずかしげもなく聞いたりしていた自分ですが、大抵の女子が自分を好きと言ってくれていました。この時の女子の方々は恐らく慈悲に満ち溢れていたのだと今では思っています。
クラス替えが3年生の時にあり、そのクラス替えをした後でさえも圧倒的な人気を誇っていた自分に危機的な状況が生まれます。それは4年生に進級したときのことでした。
同級生のK君がサッカーのスポーツ少年団に通い始めたのです。K君は勉強ができることから、人気は実質クラスのNo.2でした。そんなK君がサッカーを始めたので、女子からの人気は瞬く間にK君に傾きました。
女子からの人気をアイデンティティとしていた自分は、人気を取り戻そうと躍起になります。
まず、K君に全てのことで勝てばいいんだと考えた自分は、サッカーを始めたいと親にすがります。しかし、「休日がなくなるからダメ」というよくわからない理由で却下されました。
では、勉強で勝ってやろうと息巻いてテストに臨みましたが、案の定勝つことができませんでした。
何か一つでもK君に勝たなければ人気は取り戻せないと試行錯誤した結果、「そうだ給食をK君よりも早く食べればいいんだ!!」という訳の分からない結論に達しました。
この決意から必死になってK君よりも給食を早く食べました。食って、食って、食いまくりました。さらに、K君よりも多く食べればきっと勝てるという、またよく分からない決意をし、おかわりまでするようになりました。
その結果、みるみるうちに太り、ただのデブに成り下がっていました。この時、初めて人生における敗北を知ったのは、今思い返すといい経験でした。
少量のモテ期を有していたばかりに、モテると勘違いし、勘違いから生まれたモテるというアイデンティティを奪い返そうとした結果、モテるとはかけ離れた体型になったのは体を張った皮肉と言っても過言ではないと思います。
その後、太ることに歯止めがきかず、160cm、60kgまで成長、いや膨張しました。
そんな160cm、60kgのベッカムヘアーなデブだった自分に言いたいことがあります
痩せろ !!
もうこの一言に尽きます。とりあえず、痩せてくれ。
しかし、太った経験がなければ金髪ロンゲのバティストゥータに心を動かされなかったかもしれないし、今の自分がなかったかもしれません。
でも、やっぱり
痩せてくれ!!
いつかこの声が彼に届くことを願いつつ、今回の自分語りを終わりにしたいと思います。
*余談
自分は太ってはいたものの、「動けないデブはただのデブだ」という某ジブリ作品の名言を参考にしたポリシーを持っていたので、動けるデブを自負していました。
実際に、リレーのアンカーや水泳もやっていたので動けていたとは思います。ただ、見ている人からしたら動けるデブって、ただただ暑苦しいだけだったんだろうなと今では思います。
サッカーを始めたのはあなたのおかげです。この場をお借りしてお礼申し上げたいと思います。「Muchas Gracias.」
前回はインタビュー形式で自分語りをしてみましたが、案外気持ちのいいものではないことに気付きました。ええ、気付きました。
まぁ、気分が乗ったらまたやるかもしれないですが、今回は違う形で自分について語ろうと思う次第です。
いきなりですが、自分はサッカーが好きです。中学校から大学まで約9年半サッカー部として活動してきました。
自分がサッカーを始めたのは、2002年W杯がきっかけです。当時小学校高学年だった自分は、父親と父親の会社の人と賭けをしていました。
賭けの内容は他愛のないもので、どの国が優勝するのかというものでした。
この賭けをするまで自分は、「カナリア軍団て何?」、「はっ?ドイツってどこ?」、「中田って誰?」というようにサッカーの知識は皆無でした。
知識がないながらも賭けをするには、優勝しそうな強い国を選ばなければなりません。
自分は、国旗がかっこいいこと、ユニフォームがかっこいいということからアルゼンチンを選びました。
この時の掛け金は500円と、当時お小遣いが1000円の自分からしては破格の値段でした。
アルゼンチンは南米の強豪チームで、過去に優勝したことがあると父親から聞いていた自分は、アルゼンチンにお小遣いの半分を託しました。
自分は必死にアルゼンチンを応援し、彼らのプレーを固唾をのんで観戦していました。
アルゼンチンがナイジェリアに勝った時には、「アルゼンチンってチ〇コみたいな名前だけどつえー」と子供ながらの下品な発想で喜んでいたのを覚えています。
しかし、アルゼンチンがイングランドのワンダーボーイに翻弄され、イングランドの貴公子にPKを決められた時には、もう必死になってベッカムを恨みました。
この時、母親にベッカムと同じ髪型にされていた自分は、それも相まってか「ベッカム、フ〇ック」と当時習っていた英会話を存分に使って、流暢に罵っていました。
その後、アルゼンチンはスウェーデンに引き分け、自分が並々ならぬ期待を掛けていたセレステ・イ・ブランコはあっけなく2002年W杯を去ることとなりました。
この時、必死になって500円を死守したのを覚えています。ベッカムヘアーのぽっちゃり小学生が半べそをかきながら、「勘弁してくれよ-、勘弁してくれよ-」と言っているにも関わらず問答無用に500円を徴収されたのは、社会の厳しさを教えるための父親なりの愛情だったのかなと今では思えます。
アルゼンチンが負け、500円を失ったものの、自分はあるアルゼンチン選手に異様に惹かれていました。
金色の長い髪をなびかせて、力強くプレーし、ナイジェリアに豪快なヘッドを決めた、バティストゥータ選手に自分は何故か惹かれていました。
サッカーを始めるきっかけとなったのは、獅子王バティストゥータ選手でした。
先ほども書いたのですが自分はこの当時ぽっちゃりしていました。160cm、60kgの小学生でした。正直ぽっちゃりではなく、デブでした。
デブの自分は、クラスの女子にアンパンマンと呼ばれていたり、下校中にすれ違った中学生に「でかっ、小学生かよ」と言われるなど何とも言えない経験をしていました。
そんな中、突如テレビに現れた金髪のサッカー選手が、一人の小学生に夢を与えるのはもの凄く簡単なことでした。
こんなサッカー選手になりたいという思いよりも、こんなかっこいい金髪ロンゲになりたいと思っていたことは内緒の話です。
アンパンマンと呼ばれていたベッカムヘアーのデブな小学生は、獅子王バティストゥータをきっかけにサッカーにどっぷりはまり、大学までの約9年半もの時間をサッカーに費やすことになりました。
以上が自分がサッカーを始めるきっかけとなった自分語りです。こっちの方がインタビュー形式よりもしっくりくるのは多分気のせいなのでしょうか。
これを書くにあたって、当時のゴールシーンを見てみたのですが、アルゼンチン代表には金髪ロンゲや黒ロンゲなど長髪の選手が多かったです。ゴールを決めたのは紛れもなくバティストゥータでしたが、もしかしたら、他の選手とバティストゥータを勘違いしているかもしれません。自分がサッカーを始めたきっかけが、獅子王であることを切に願うばかりです。
もしバティストゥータに会うことがあるのならば、もし会えたのならば自分は彼を抱きしめ、「ありがとうバティストゥータ」と涙ながらに言いたいと今でも思っています。
ありがとうバティストゥータ
*余談
女性が太っている自分を「デブじゃないよぽっちゃりだよ」というのは何故なのか、今日のブログを書いてみて感じることができました。
やはり公衆の面前に晒すのだから見え張ってもいいじゃんと途中ぽっちゃりと表現したのですが、嘘はよくないですね。女性が言っていたあのぽっちゃりという異様に幅広い基準は見栄からくるものなんですかね。
ブログには何を書いてもいいんだと勝手に解釈しています
ブログに何を書いてもいいんだと開き直ってみたのですが、やはり何を書けばいいのか分かりません。
そこで、自分が憧れていたことをやろうと決めました。ええ、決めましたとも。
自分は「自分語り」に憧れています。かっこよくないですか、自分語り!!自分の半生を意気揚揚と話すあの感じ。自分語りに加えて、インタビューもされてみたい自分は、インタビュー形式で自分語りをして、究極のオ〇ニーに勤しむことにします!!
今回のインタビューはしがない田舎の大学に通うtevez13tkさんです。これといってとりえのないtevez13tkさんに自分について語ってもらいましょう!!
記者A(以下A) :「こんにちは。今回はtevez13tkさんの半生について存分に語ってもらいたいと思います。よろしくお願いします、tevez13tkさん。」
tevez13tk(以下T):「よろしくお願いします。いやー、こんな自分にインタビューしてくれるなんて感激です。」
A:「さっそくなんですが、学生時代のことについてお話を聞かせてください。」
T:「学生時代ですか?学生時代って幼稚園の事も含まれますよね?ね?」
A:「いやー幼稚園児のことは学生と言わないし、高校時代とか大学時代の話をしてもらったほうが、」
T:「幼稚園の時は、巨乳の保母さんにいつもくっついていましたね。記憶が曖昧なのですが、幼稚園の時は何故か巨乳の保母さんの後をついて回ってました。あ、大事なことなので二回言いました。」
A:「人の話を聞かないスタンスなんですね、分かりました。じゃあ、幼稚園時代のことから思う存分語っていただきましょう。幼稚園の時から巨乳が好きだったのですね。」
T:「そうですね、子供の特権を乱用していましたね、当時は。幼稚園の手帳ってあるじゃないですか?」
A:「あの保育士さんが園児の一日について報告するみたいな感じのですか?」
T:「そうです、そんな感じのやつです。それに、お気に入りの保母さんからふざけて胸を触ってきますとか、求婚されましたとか書かれていましたねー。」
A:「ほー、それは恥ずかしいですね。自殺もんです。」
T:「恥ずかしさよりも悔しさの方が大きいですけどね。」
A:「それは何故ですか?」
T:「その保母さんのあの感触が思い出せなくて、ほんと悔しいです。あの感触が思い出せれば、」
A:「悔しがることではないと思いますがそれは。その他には幼稚園時代の出来事はないですか?」
T:「そうですね、ありますよ。人生においてモテ期って何回くると思いますか?」
A:「モテ期っていうのは、異性にいつも以上にモテる時期の事ですか?確か、2~3回くるとかこないとか?」
T:「そうですね、2~3回と言われています。自分はその大事なモテ期が幼稚園の時に到来してしまったんですよ。」
A:「モテ期は来ない人もいますし、幼稚園時代でもいいじゃないですか。」
T:「いっきに5人の女の子からバレンタインのチョコをもらう機会なんてめったにないことですよ。どうせなら、高校時代とか大学時代にモテ期は来てほしいじゃないですか。後2回しかないんですよ、モテ期。」
A:「モテ期に対するこだわりが並みのものじゃないということが伝わってきますね。今回はここまでにして、次回、小学生時代の話をインタビューしていきたいと思います。次回があればですが。」
いやー、全く面白くないですね自分語り。多分第三者の目から見たら、ウ〇コみたいなブログですね。でも、究極のオ〇ニーには変わりないと自分は考えるので、何回か続けよ。
ブログを始めてみたけど何を書けばいいのかわからない
「この世界を滅ぼしてやる!!」そう言ってキクチはサッカーボールを蹴ろうとした。
キクチはとてつもない能力を持っている。サッカーボールを蹴ると世界を滅ぼせるのだ。
「そんなことはさせない」そう言って私はキーパーグローブをはめた。
*この文に特に意味はありません。
今日は一日中ブログに何を書いたらいいのだろうかと悩み、やらなければいけない卒論に全くの手を付けずに今に至る。
ブログって何を書けばいいの?
正直、「聞くくらいならブログを始めんなよ」と言われるとお終いなのですが、せっかく登録したんだから何かは書きたいよね。
ということで、ありきたりに日記を書いていこうと息巻いていたのですが、自分はこれといって書くほどの出来事が日常にないことに気が付きました。
卒論について書かず、ブログについて考えた挙句に、書くことがないって悲惨過ぎません?
なので冒頭にあるような物語を書いてみたのですが、意味不明すぎてもうねorz
とりあえず、やっぱり日々の日記と気になった物事について今後は書いていこうかなと。
誰かがみるわけでもないし、適当に好き勝手書いてもいいよね?ブログだし。