160cmで、60kgだった君に送る言葉

 前回のブログに160cm、60kgのベッカムヘアーのデブな小学生だったと書きましたが、紛れもない事実です。ええ、事実です。

 

 しかし、何も最初からこんなに太っていたわけではありません。ある出来事をきっかけに自分は小学生時代に劇太りしてしまいました。

 

 今回は、そんな太っていた時代について自分語りをさせていただきます。

 

 自分が劇太りする話の前に、どのような小学生だったかを振り返っていきましょう。

 

 前々回のブログにもあるように、幼稚園時代から変態の素養があり、かつモテ期が来ていた自分は、ただのエロガキでした。

 

 小学校の低学年の時には、プールの着替えの時間に自分の裸を女子に見せつけるという行為を毎回のようにやっていました。女子が「キャー変態」というのを毎回楽しみにしていたということを今でも覚えています。

 

 また、公園などに落ちている神様からの贈り物「エロ本」も小学校の低学年の時から愛読していました。

 

 このような変態的な行為をしていたにも関わらず、自分はクラスの女子に嫌われることもなく普通に生活できたのは、女子の皆様が大変心の広い方たちだったことや幼稚園のモテ期を少量ながらこの時まで有していたからだと思っています。

 

 この時は、少量ながら有していたモテ期が自分が劇太りするきっかけになるとは露程も知りませんでした。

 

 少量のモテ期を有していた自分は、同じ学年の女子は勿論のこと、高学年の女子などからよく遊びに誘われ、鬼ごっこやスカート捲りなどをしていました。

 

 女子からこんなにも誘われるので、自分はモテるんだという勘違いが発動しました。この勘違いは恐ろしいもので、女子の前で格好つけたり、自分のカッコイイところを言わせたりと様々な愚行を繰り返すこととなります。

 

 女子の髪をいじりながら「髪きれいだね」と囁いたりなど、今思い返すと死にたくなるくらい恥ずかしいことを言っていました。

 

 「好きな人は誰なの?」と恥ずかしげもなく聞いたりしていた自分ですが、大抵の女子が自分を好きと言ってくれていました。この時の女子の方々は恐らく慈悲に満ち溢れていたのだと今では思っています。

 

 クラス替えが3年生の時にあり、そのクラス替えをした後でさえも圧倒的な人気を誇っていた自分に危機的な状況が生まれます。それは4年生に進級したときのことでした。

 

 同級生のK君がサッカーのスポーツ少年団に通い始めたのです。K君は勉強ができることから、人気は実質クラスのNo.2でした。そんなK君がサッカーを始めたので、女子からの人気は瞬く間にK君に傾きました。

 

 女子からの人気をアイデンティティとしていた自分は、人気を取り戻そうと躍起になります。

 

 まず、K君に全てのことで勝てばいいんだと考えた自分は、サッカーを始めたいと親にすがります。しかし、「休日がなくなるからダメ」というよくわからない理由で却下されました。

 

 では、勉強で勝ってやろうと息巻いてテストに臨みましたが、案の定勝つことができませんでした。

 

 何か一つでもK君に勝たなければ人気は取り戻せないと試行錯誤した結果、「そうだ給食をK君よりも早く食べればいいんだ!!」という訳の分からない結論に達しました。

 

 この決意から必死になってK君よりも給食を早く食べました。食って、食って、食いまくりました。さらに、K君よりも多く食べればきっと勝てるという、またよく分からない決意をし、おかわりまでするようになりました。

 

 その結果、みるみるうちに太り、ただのデブに成り下がっていました。この時、初めて人生における敗北を知ったのは、今思い返すといい経験でした。

 

 少量のモテ期を有していたばかりに、モテると勘違いし、勘違いから生まれたモテるというアイデンティティを奪い返そうとした結果、モテるとはかけ離れた体型になったのは体を張った皮肉と言っても過言ではないと思います。

 

 その後、太ることに歯止めがきかず、160cm、60kgまで成長、いや膨張しました。

 

 そんな160cm、60kgのベッカムヘアーなデブだった自分に言いたいことがあります

 

            痩せろ !!

 

 もうこの一言に尽きます。とりあえず、痩せてくれ。

 

 しかし、太った経験がなければ金髪ロンゲのバティストゥータに心を動かされなかったかもしれないし、今の自分がなかったかもしれません。

 

 でも、やっぱり

 

     痩せてくれ!!

 

 いつかこの声が彼に届くことを願いつつ、今回の自分語りを終わりにしたいと思います。

 

*余談

 自分は太ってはいたものの、「動けないデブはただのデブだ」という某ジブリ作品の名言を参考にしたポリシーを持っていたので、動けるデブを自負していました。

 

 実際に、リレーのアンカーや水泳もやっていたので動けていたとは思います。ただ、見ている人からしたら動けるデブって、ただただ暑苦しいだけだったんだろうなと今では思います。